なぜ私は『香り』と書かず『薫り』と書くのでしょう。
答え そう、格好いいからです。終わり。
しつこいですね、終わりません。先日『薫り』の話を書きました。
オチは、たわけなソムリエがビニール袋に頭を突っ込んで窒息しかけた、
という情けない話でしたが、覚えておりますでしょうか?
その後、たくさんの方からお話を聞きました。
いえ、情けない話ではなく、真面目な『薫り』の話です。
とある方からは『街中ですれ違った方から自分の大好きな薫りがすると、
ついその人の後を追ってしまう』とカミングアウト。犯罪の薫り。
ある方からは『本屋で紙やインクの薫りを嗅ぐやいなやトイレに行く』とカミングアウト。
芳しい文学の薫り。小椋佳さんが作詞作曲して布施明さんが歌った、、
真綿色したシクラメンのかほり(もう止めておきます)。
シクラメンの場合を除いて、先の二つには実に真面目な理由があるそうな。
記憶の薫り、つまり心に残る体験をした時、自分を取り巻いていた薫りを、
その出来事と一緒に記憶した、、、という事らしいのです。
その時の記憶を基に、(幸せだったあの時を求めて)その人の後を追い、
(テストか何かの記憶から身体が緊張して)トイレへ向かう訳です。
そんな薫りと体験の記憶を蓄積して、やがて人は『ソムリエ』となる、、、
そんな事はありませんが。
昔々のテレビ番組にこんな事がありました。とある民家の軒下、
換気扇の下に調香師など各界の『鼻の達人』が勢ぞろい。
換気扇から流れ来る匂いを嗅ぎ分け、その日の献立を当てるという勝負です。
見事優勝したのは我々の先輩ソムリエでした。その後、エキシビジョンマッチでは、
警察犬との一騎打ちに勝利し、名実共に『鼻大王』になったといった伝説があります。
私の息子がそんな事、得意そうです。
家の中、漂う薫りから、我が家の晩御飯の献立を当てる彼、ずばずば看破、見事。
人生経験短い彼が何故こうも分かる、、、やっぱり才能かなあ、俺の息子だしなあ、、、
でも息子には消防官を薦める 元消防 ソムリエ小谷 でした。
